子どもたちのベースボール
- k-attackers
- 2017年3月22日
- 読了時間: 7分
私が読んでいいなあ・・・と思った書籍の一文を紹介します。
アタッカーズもこうありたいよな。
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私の愚息がまだ小学生のころ,自分の息子の打席に手に汗を握る,なんて期待をして近所の小学校の校庭に出向きました。息子の前の試合だったと思います。そこでは壮絶なシーンが繰り広げられていました。まず投手がストライクが入らないとみると打者は完全にウエイティング。すなわちたまに投手がストライクを放っても,絶対にバットを振りません。四球で塁に出ると,盗塁。そのような状況の中で投手は四球や暴投を連発し,たまに飛んだ打球はエラーを誘発しています(めったに打球が飛んで来ませんから守るほうは足も動かなくなります)。それは大量失点につながり,両チームでの待球盗塁合戦は壮絶な点の取り合いになっていきます。試合中に投手はコーチから大声で叱られ,ますます縮こまっていきます。そして試合が終了したとき,負けたチームの選手の表情は暗く,もうこれから野球はできないほどの落ち込み方をしています。試合後のミーティングの近くに行くと,指導者の大きな声の叱咤が聞こえてきました。これは高校野球に25年身を置く立場として衝撃の現場でした。自分のチームも同じようなことをしているかもしれないという,自分に対しても恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。愚息のチームはホンワカのんびり弱小チームだったので安心しましたが,強豪チームにはそれを許さない雰囲気がありました。その後何回か少年野球を観戦に行きましたが,同じような光景を何回も目にしたのはやはりショックでした。 明治5年にアメリカ人英語教師,ホーレス・ウィルソン氏が日本に持ち込んでくれた野球は,イギリスのラウンダーズという球技が起源になっていると聞いています。そしてタウンボール,ベースボールとルールなどがどんどん改良されて発展していきました。独立当初のアメリカ東部の人たちの「エンジョイメント」として急速に広がった野球は,競技する側も観戦する側も本当に楽しめるスポーツだったようです。南北戦争によって急速にアメリカ国内に広まるとすぐにプロ野球が結成され,現在の大リーグへとたどりついています。 球審がコールする『ストライク』とは命令形で,投手が投げたストライクを打者が打たない非礼を責め,打ちなさいよ」と怒っているコールです。 『ボール』とは「アンフェア・ボール」の略語で「投手はストライクを投げないと打てませんよ」と励ましています。投手は当然ストライクを一生懸命投げる。打者はどんどん打つ。そこに野球の醍醐味があり,まさにバットを振ってボールを遠くに飛ばす点取りゲームが野球の原点なのです。 そしてさらにいうと,野球はいわば「失敗のスポーツ」です。10回に3回ヒットを打てれば3割打者と尊敬される世界です。私は思うに,特に野球の試合とは何試合もリーグ戦で戦って最高の勝率を上げたチームが栄冠を勝ち取るという方式が,ベストの試合運営だと強く信じています。 その運営方法の利点は,多くの選手に出場機会が与えられ,多くの投手も登板できます。故障した選手は長丁場のシーズンのため「休養」という少年スポーツにとって重要な場を与えられます。 また可能なかぎりいろいろなポジションを経験し,その中で他のポジションを別の角度から見ることにより,最終的に自分の適正ポジションを見つけることができます。 しかし日本のいたるところで行われている高校野球方式,つまりトーナメントの世界においてはどうでょう。一発勝負でもし負けたとしたら。エラーしたり,いい場面で打てなかったり,またいいピッチングができなかったとしたら。周りはどんな言葉を選手にかけてやれるでしょうか。 「次の試合では任せたぞ」「でもいいスイングだったぞ」なんていう激励の言葉はかけても空念仏になってしまいます。なぜなら指導者も選手もその1勝の重みをわかりすぎるくらいわかっているからです。そのために,厳しい言葉を普段から投げかけてしまうのではないかと思います。負けても失敗しても,「次は頑張ろう」という心の切り替えがスポーツ選手をたくましくし,そこが進歩のスタート地点になることはいうまでもありません。 繰り返しになりますが,野球発祥の地アメリカでは「エンジョイメント」,つまり皆が楽しめる競技として発展してきました。勝負の世界は確かに小学生でもシビアではありますが,いかにその競技を楽しませてやるかが指導する側の,また周りにいる大人の責任であると最近痛感しています。日本の少年野球をのぞき見て,また長い間高校野球の世界に身を置いて,大変僭越ではありますが,雑感を5つほど述べさせていただきます。 何試合もできるリーグ戦形式で競い合うそれが本来の子どものスポーツ。そこに失敗はつきもので,その中でいろいろなことを学びながら成長していかなければいけないのに,一発勝負トーナメント方式の運営が日本全国で行われているのではないでしょうか。栄冠をめざす多くの勤勉なチームは,シビアに試合に向き合います。優勝をめざしていろいろなことを犠牲にして突き進んでいくのではないでしょうか。低年齢になればなるほど対戦する地域を狭くして,試合数を増やしたほうが,いい選手もたくさん育つような気がしてなりません。 3ボールでも積極的に打つことをよしとする野球は攻撃・打撃優先のスポーツだと思います。特に低年齢の野球はそうであってほしいものです。周囲の声が子どもの積極性を引き出し,打撃という最高に楽しい行為を満足させてあげることができます。たとえば三球三振でも「いいスイングだったよ」,とんでもないールを振って空振りしても「いい積極性だ」。このような言葉がいい打者を育てていくと私は確信しています。ある程度シーズン制を敷いて他のスポーツもどんどん経験させる野球チームが「今度の日曜日はサッカーやるぞ」なんていう発想が大事だと思います。 高校野球を全面的にお手本にしない高校野球は独自の文化の中で,そしてアメリカのベースボールと離れたところで育ってきた経緯があります。明治時代にベースボールは武道とリンクして,厳しいところに身を置いて修行するという大変ストイックな部分で日本人に受け入れられてきました。しかし時代は大きく動いているのかもしれません。頭にちょっと禿がある子どもは絶対に坊主頭は嫌だと思います。それを「小さなことだ。甲子園に行くためにはすべてを犠牲にしなければいけないんだ」と言ってきたのは我々の時代だったかもしれません。もちろん高校野球のいいところもたくさんあります。しかし少年野球にそれをすべて当てはめて実行に移すことには,疑問を感じます。とにかく子どもたちに野球の楽しさを教えていくことが最優先ではないかと思います。高校生のような大きな声を四六時中出して野球をするのは,どこか違うような気がします。 ・野球ファンをとにかく増やしたい 次元が異なるかもしれませんが,小学生で野球を経験した子どもたちが,中学・高校で他のスポーツや興味あるものに方向転換したとしても,いつまでも野球を大好きであってほしいと切に願っています。野球ファンを増やすことが我々指導する側の大きな仕事であり,「あのチームからプロ野球選手が出た」「あのチームのエースは甲子園に行った」ということよりも,将来の『野球好き』を増やすことが大事なミッションだと思います。偉そうに批判めいたことを述べてまいりましたが,高校野球に身を置く自分にとっても,上記の5項目は自己反省の事項です。やはり私自身も「甲子園」という最後のカードを高校生にチラつかせて,こちらの言うことを強引に聞かせているような気がします。しかし根本にあるのは子どもたち,選手たちにスポーツを通じていい思い出をつくってやることだと考えます。勝負事ですから勝たなければ面白くないのはよくわかります。勝ったときの喜びを教えて,そのために努力する姿勢を植えつけるのも指導者の大事な役割だと考えます。しかし,加熱加速する勝利へのベクトルを少し減速させてやるのも,我々の仕事であることを忘れてはいけません。大会を運営する側にも,この抑止力をもって常にブレーキをかけながら子どもたちの育成を考えていってもらいたいと切に願います。
うえだ・まこと/1957年神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。英語科教諭。桐蔭学園高校,神奈川県立厚木東高校,慶應義塾中等部を経 て,1991年より現職。1998年にはUCLAに1年間留学し,コーチ学を研究。2008年には第90回全国高等学校選手権大会ベスト8,第39回明治神宮 野球大会優勝など,めざましい戦績を残す。著書に『エンジョイ・ベースボール』(NHK出版)がある。